2010/08/06

1日目-2 第1ベンチから第2ベンチへ

第1ベンチには水場があるが、ほぼ満杯なので補給はしない。水場まで少し歩かないといけないので、ここで水を取りに行く人は見たことがないなあ。6時56分、第1ベンチを出発。
合戦尾根の地図はこちら
しばらくは緩斜面だったが、こんな階段が現れた。数年前に登った時にあったかなあ。しかし、最近できたものとも思えない。自分の記憶というものがあてにならないので、このように写真に撮っていくようになったのだが、昔山男にとっては災難かも。


木の根が露出した道が続く。太い根っこを踏んで通ると歩きやすいが、痛い痛いと言っているようで・・・ あまり根っこを踏まないように、そして二度と足を引っかけないように、慎重に歩を進める。 
できるだけ特徴のある所を選んで撮っている。こんなところに狭くて根っこが露出した道があった。ここで引っかかると、とんでもないことになりそう。
段々森が明るくなるに従い合戦尾根は段々痩せてきた。そしてまた急傾斜になった。
「合戦尾根」は「かっせんおね」と呼んでいた。多分昔山男の影響だろうが、ある山女(今流行りの山ガールではない、百名山登頂達成目前の本格的な人だ)さんに「がっせんおね」だと聞いた。しかし、本には「がっせんおね」とふりがながあった。しかし、中房までの地元のタクシーの運転手が「がっせんおね」と言っていたので、山女さんに軍配、そして脱帽。
そして東側に有明山(信濃富士、2268m)のが姿を現した。その上の雲が気になるなあ。
急登は終わったようだ。この先で左に回り込むとなにやら音が聞こえてきた。
すると荷物を積んだ籠が森の中を上がっていった。合戦小屋への荷物を運んでいるのを初めて目にした。合戦小屋名物のスイカも入っているのかな。
ケーブルの下にパイプを組み合わせた箇所があり、それをくぐるとまた階段があった。
まもなく人の声がして第2ベンチがあった。合戦尾根は人の声が聞こえると次のベンチが近いと勝手に定説にしてしまったが、下山中のグループの人たちだったりしてがっかりすることもあった。何故登山中のグループではないのかというと、昔山男と山姥が人を追い越すのは希有のことだからである。
右向こうには私が転んだ時に助けてくれた親子連れが。健脚の人は休憩が長いというのは定説になるだろうか。
一応道標を写真に撮ったのを到着時間にしている。7時28分、32分で第2ベンチまで来れた。他の人には追い越されるが、ペースとしてはまずまず。

この区間の花

※参考文献
「ヤマケイ アルペンガイド 北アルプス 槍・穂高連峰」(渡辺幸雄 2008年 山と渓谷社)

「山と高原地図37 槍ヶ岳・穂高岳」 (2010年 山と渓谷社)