2010/08/29

2日目-12 東天井岳の西斜面から南斜面へ

東天井岳は標高2814m、今見えているのが頂上なのかどうか。とりあえず登っていく。
地図はこちら
振り返ると大天井からの下りが見える。結構下りてきたのだなあ。大天井頂上は一番右側。
東天井岳は頂上を通らない。西側の山腹を通るので、頂上に登ったり下りたりしなくてすむので楽だ。
とくに地図に記されていないが、避難小屋跡か冬期の緊急避難のためか、三方が石積みの塀になっているところがあった。
大天井を下るあたりから長々と見えていたが、この先に、通る人が必ず足を止めるところがあった。ちょうど休憩に適した場所なのかと思ったら、コマクサが群生する斜面だった。どの花も若くてきれいなので、通る人通る人みんなここのコマクサを撮っていたらしい。
そして↓印のところで消えていくのだった。
しばらくコマクサを撮っていたが、反対側を向くと槍の尾根と喜作新道の尾根がよく見えていた。小槍が段々小さくなってきたなあ。
ようやく我々も人の消えていく地点まできたので、誰かの視界から消えよう、12時。
ここは地図で「東天井岳」として○印があるところで、大天荘からここまで、1時間半のところを約1時間で歩けたことになる。どんどん追い越されたのでもっと時間がかかっているだろうと思っていた。
ここから東天井の南斜面を通ることになる。正面には横通、その南には常念が見えている。
ここから三俣蓮華方面を眺めると、双六から三俣間の平らな稜線、樅沢岳の尾根、硫黄尾根・北鎌尾根、そして喜作新道のビックリ平付近が等間隔で並んで見えた。
さて、南斜面は雪の残ったところの上に道がついていた。そしてシナノキンバイとハクサンイチゲの混じった大群落となっていた。
山が楽しくなる地形と地学』は、氷河期ほどではないにしろ、高山の山稜では、今でも凍結破砕作用で岩屑が生産されています。そして霜の力や岩屑の下の氷が解けると、徐々に下に向かって動き出します。このような現象をソリフラクションといい、動いた岩屑を岩屑流、あるいは岩塊流と呼んでいますという。この斜面はハイマツが多いが、そんな岩の積み重なったところもあった。
この
人の背よりも低い程度のハイマツ林を下っていく。時々ホシガラスのエサ場なのか、ハイマツの実が溜まっているところがあった。ホシガラスがハイマツの実をくわえて飛んでいくのも見かけたが、写真を写せるほどゆっくりとはいてくれなかった。
東天井と横通の中間地点まで下りてきた、12時36分。
先ほどの道標のあったのが黒↓印、白いのが登山道。昔は直降したのかまっすぐな登山道跡らしきものが見える。
この区間の花


※参考文献
「山と高原地図37 槍ヶ岳・穂高岳」 (2010年 山と渓谷社)

「山が楽しくなる地形と地学」(広島三朗 1991年 山と渓谷社)