2010/09/06

3日目-5 常念岳頂上からのパノラマ2

南アルプスの南端からあまり離れずに中央アルプスが小さく見える。木曽駒ヶ岳(2956m)が最高峰。その次に現れるのが、先ほど岩の間から見えた御嶽山(3067m)と乗鞍岳(3026m)。
近くには蝶ヶ岳(2667m)、蝶に続く長塀山(ながかべやま、2564.9m)はほとんど隠れている。大正池の向かい側にある霞沢岳(2645.6m)も見えている。
長塀は20数年前にいやいや登って、頂上まで辿り着けなかった山だ。いつか上高地から徳沢・長塀・蝶・常念・大天井・燕・中房と、反対側から槍を眺めながら縦走してみたいものだ。
御嶽山からも常念が常念らしい三角の形で見えた。その写真はこちら
乗鞍も大きな山だ。登った時はガスってしまって頂上が見えなかったのに、晴れていればこんな遠くからでもはっきりとわかる。
2002年の夏、燕から表銀座を縦走し、槍沢を下りて横尾から蝶に登った時は、樹林帯を抜けるといきなり稜線に出た。
あまりにも風が強いので、そのせいで植物が育たないのかと思うほどだった。寒いくらいに強い風の中を蝶槍(2664.3m)まで往復した。
蝶ヶ岳ヒュッテに泊まり、翌日は三俣に下りたが、その3泊4日間、一度も槍ヶ岳の穂先が見えなかったのだった。
しかし今日は槍から穂高連峰までがはっきりと見える。しかも今年は雪が多いので岩山が際立って見える。
また、高瀬川断層が水俣乗越のそばを通って横尾尾根の白矢印の箇所にできた横ずれ断層(『山が楽しくなる地形と地学』より)だという。
我々よりも下の方で槍穂高を眺めている人達がいた。下からだと梓川がよく見えるのだろうか。
涸沢ヒュッテは屏風の頭で隠れてしまったが、涸沢小屋の方が見える。
穂高連峰。93年の秋分の日頃に横尾から涸沢に入ると紅葉が始まっていた。その時は奥穂-吊尾根-前穂と縦走し、岳沢を下った。吊尾根は文字通り尾根の上を歩くのかと思っていたら、登山道は上高地側か涸沢側かについていて、歩きながら両側が見えるなどということはなかった。
岳沢の下りはきつく、樹林帯に入ってからの長々とした歩きからやっと開放され、河童橋を渡ると五千尺ホテルへ直行。喫茶室で大きなケーキを頬ばった。リュックはさすがに外に置いたが、汗と土まみれだったが何も言われなかった。
涸沢から穂高岳山荘まではザイテングラートという急登をバテバテで登った。翌年の夏、槍から縦走して穂高岳山荘に再び泊まった。
北穂高小屋もはっきり見えた。槍穂を縦走した時はこの小屋のテーブルを借りてお昼を作った。人に馴れたイワヒバリが足元を歩き回っていたのを思い出す。
飛騨泣きからの急登も、南峰に登った時もガスって周りがよく見えなかったが、その方が高度感がなく恐がらずに済んだのかも。涸沢岳は何も見えないからと頂上を通らないルートを選んだ。
どうも槍穂縦走した時とは逆方向に写真が展開しているのだが、長谷川ピークでナイフリッジを通っているのが怖くなってしばらく動けなかったのを思い出した。飛騨泣きでビビってしまったら命にかかわるので、下を見ないようにして通ったため、滝谷側がどんなだったか記憶がない。
15年以上たった今の方が健脚だが、バランスが悪くなってしまったのでもう大キレットを通ることはできないだろう。しかし、これからも槍穂を眺めながら山歩きをする楽しみは残っている。次回は必ず上高地-徳沢-長塀-蝶-常念-大天井-燕と逆のコースから縦走して、小槍が段々と現れるのを楽しもう。
百名山パノラマ案内』で大キレットの向こうに白山が見えることを知ったので、実は期待していた。最初は雲しか見えなかったが、頂上で粘っていたら白山らしき山が見えてきた。
大喰・中岳とガレというか、採石場を通っているような登山道だったなあ。
そして最後はなんと言っても槍ヶ岳。常念と槍穂高は人が見える程には近くなかった。
今度槍に登るとしたら、やっぱり槍平からが近くて楽かな。しかし槍沢からも登ってみたいなあ。
せっかく登ったら、そのまま下山するのも惜しい。南岳まで縦走して、大キレットをこわごわのぞき込んで、南岳新道から槍平小屋へ下りるルートもあるが、それも我々には危険だろうなあ。
それとも槍平小屋から南岳へ登り、大キレットを眺めた後は槍を正面に見ながら近づいていくというのはどうだろうか。


※参考文献
「山と高原地図37 槍ヶ岳・穂高岳」 (2010年 山と渓谷社)

「百名山パノラマ案内」(1999年 白山書房)
「アルプス大展望」(近藤辰郎・今野岳志・三枝輝雄・花畑日尚 1991年 山と渓谷社)
「山が楽しくなる地形と地学」(広島三朗 1991年 山と渓谷社)