2010/09/02

3日目-2 常念岳へ1

大きなリュックを小屋に預け、外に出るとまだ白月が空に浮かんでいた。
それぞれに小屋と槍・穂高を背景に記念写真を撮ったり、準備運動をしたりして、各自の目的地へと発って行く。
北へは昨日通った大天井への道、東へは一ノ沢を通って下山する道。
そして、南へは常念岳を経由して蝶ヶ岳への道と、途中で分かれて前常念岳から三俣へと下る道。リュックを担いでいる人たちはそのどちらかだ。
我々は頂上を目指し、また常念乗越へと戻ってくるので水と携行食だけ。では出発、5時49分。
大天井から縦走している時は常念の登山道がよく見えた。山の斜面が東西に分かれるぎりぎりの所についていて危ない感じがしたが、近づくにつれてそうでもないことが分かってきた。
歩き始めると広い斜面に見える。
ジグザグに登っていると、右(槍・穂高側)に振った時は槍がよく見える。
踏み跡があちこちにあって、正規の道を見失うことも。
登山道は矢印か○で示されている。ここは振り幅が大きく、すっと先まで斜め上に進んでいく。
そして左に曲がる。何とか曲がる時に槍を背景に昔山男を撮ろうとするのだが、なかなかうまく入らない。やっと撮れた。
10分ほど登り続けると大キレットも見えてきた。昔山男は別のタイミングを狙っていた。
やっぱり槍のアップだった。
東鎌尾根がよく見える。ヒュッテ西岳から大下りしてニセ乗越、小さなピーク(多分白上矢印のところ)を登り返してまた長い鉄ハシゴを幾つかまっすぐに下りると水俣乗越だった。どちらの乗越も写真を撮りづらいくらいに狭い。その後は2595mのピーク(第1展望台)まで急登するのだが、その先もハシゴやクサリのある登り下りを繰り返す。正に「鎌」尾根だった。この写真からは「窓」や第2・第3展望台を見分けることができない。
2002年はガスって周囲が見えず、ヒュッテ大槍の小屋まで何分という小さなプレートをあちこちに見つけては安心するのだが、なかなか小屋には辿り着けなかったのだった。そのヒュッテは尾根の向こう側にあるので見えない。
1994年当時は今よりずっと足が弱かったが槍平から槍ヶ岳を目指した。やっとの思い出飛騨乗越までやってきたら、槍ヶ岳山荘までまだ登りがあってがっくりきたものだ。
そして2010年は梅雨明け十日の間に常念山脈を歩き、一番天気の良い日に常念岳の頂上を目指している。この青い空!
しかし、山姥は昇り始めからずっと左胸が痛い。心筋梗塞を起こすのではないかと思うほどだった。
大キレットの南に北穂高、涸沢岳、そして奥穂高まで見えてきた。
あれもう山頂?6時36分。
この区間の花


※参考文献
「山と高原地図37 槍ヶ岳・穂高岳」 (2010年 山と渓谷社)

「ヤマケイアルペンガイド7 槍・穂高連峰」(渡辺幸雄 2008年 山と渓谷社)