2008/08/25

1日目 バスで北沢峠へ

今回は96年夏に登った甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳を久しぶりに登った。ここを選んだ理由の一つは、どちらも北沢峠から日帰り登山するので、縦走ほど荷物が重くならないということだった。
前回は朝1番のバスで仙流荘からバスに乗り、甲斐駒へ登ったが、今回は時間にゆとりをもたせるため、北沢峠で前泊することにした。 仙流荘発の最終は14:10なので早めに出発したら12:45に着いて、臨時便が我々の後ろについてきた。登山靴に履き替えたりしなければならないので、このバスに乗るわけにはいかなかった。
車を駐車場に置き、装備を調えてバスのりばに着いたのが13:05。ノコギリが見えて期待がふくらむ。チケット(片道1.100円+手回り品200円)を買うと、外のベンチに前から詰めて荷物を置くように言われる。
北沢峠までのバスは以前は長谷村が運営していたが、合併して伊那市になってしまったが、その他は記憶とあまり変わらない。   13:50に臨時便が仙流荘から出ることになった。戸台大橋を渡りしばらく山腹をジグザグに登った後、突然鋸岳に続く峰々が現れる。バスは谷筋、尾根筋をカーブしながら鋸に少しずつ近づいていく。鋸は素人の我々には大きなV字形の中ノ川乗越が目印。鋸岳は標高2685mと、3000m級の峰が並ぶ南アルプスにあっては、それほど高い山ではないが、林道からはダイナミックな景観を望むことができる。ところどころで深い谷も見え、高度感が増す。この河床も登山道の1つという。
向こうの山の木のない斜面がこちらへと一直線に迫ってくる。秩父帯の石灰岩が露出しているらしい。これは横岳(2142m)の尾根のひとつだろう。バスの運転手がいろいろ説明してくれるのだが、聞いた傍から忘れていく。鋸に目を奪われて気づかずに通り過ぎてしまったが、ここから向こうに見える長い落石除けトンネルの間の谷が唐沢で、『山が楽しくなる地形と地学』は、崩れかかった砂防堰堤が何段もあり、この谷が四万十帯と秩父帯の境界の仏像構造線です。唐沢から戸台のほうへ50mも行くと、四万十帯の泥岩が秩父帯の石灰岩へ乗り上げている断層の現場があり、泥岩は強い圧力でペラペラの千枚岩になり、石灰岩の方は表面がなめらかになっているという。そう言われると、崩れた谷が見えたような・・・先のカーブを曲がった歌宿にはバス停がある。ここが鋸岳が正面から見えるところで、一瞬停まってくれる、14:26。 バスが向きを変えると甲斐駒から北沢峠へと明日下る予定の峰々が目に入ってきた。午後なのでガスったり、雲に隠れたりするのは仕方がないが、こんな雲を見ると明日の天気が心配。 そして、鹿ノ窓が見える地点でも停まってくれた。鹿ノ窓の拡大写真もみせてくれ、位置を教えてくれるのだが、老化が激しい私の目では見えなかった。鋸が見え始めてからシャッターを押しまくっていたのが幸いして、なんとか写すことはできた。人と比べるとどんな大きさかは、いろりさんの甲斐駒から鋸岳縦走にあります。 車が尾根筋に出るたびに甲斐駒が大きくなってきた。 やがて大平山荘のある谷の上に明後日に登る仙丈ヶ岳の姿があった。ここからはどれが仙丈なのかわからない。運転手が「仙丈が見えますね」と言ってくれたのでわかった。 もう1まわりカーブを回り込むと未舗装の道になり、すぐに北沢峠。1時間5分かかるところを14:40過ぎには到着。左は水洗トイレ。後方の緑のテントは仙流荘・戸台行きのバス待合所。ベンチに数字がうってあり、来た順に並び、その順にバスに乗る。テントには坐りきれないほどの人がいるので、その人たちを運ぶために出た臨時便に乗ることができたのだ。
予約していた長衛荘へ。 
この区間の花

※参考文献
「山と高原地図41 北岳・甲斐駒 南アルプス」(2008年 昭文社)
「山が楽しくなる地形と地学」(広島三朗 1991年 山と渓谷社)

※参考サイト
南アルプスネットのアクセス/バス時刻
いろりの甲斐駒から鋸岳縦走、つばくら45の2003年秋 - 南ア・鋸岳2/3に鹿ノ窓と人の写真があります。