烏帽子沢は広い河原で、河原を歩いた後、一ノ沢と合流する手前で、丸太で補強した狭い道に入る。
すると登山道は小川のようになっていて、滑りやすかった。このようなところはあちこちにあって、昔山男も山姥も滑って尾てい骨を打ち付けてしまった。そのためかここからの下りはより遅くなっていった。
地図はこちら
少しでも道が平らになったり、森が透けて明るくなるとほっとするが、悪路はまだまだ続く。
左に倒木更新をした大きな木を見つけたが、気づかずに歩き続ける昔山男。
いつのまにか川と変わらない高さの道になっていた。ベンチで2人で物を食べている人の前を通り過ぎ、トリカブトを見つけた。他にも咲いていないかと辺りを見回すと王滝ベンチの小さなプレートを見つけた。さっきのベンチが王滝ベンチだったのか、12時。烏帽子沢から25分、胸突八丁から1時間38分かかっている。
小さな文字で「あと1時間」とあったが、近くには「あと2時間」の表示もあって不安になる。2時間ならタクシーの1時半にかなり遅れてしまう。地図で確かめるとあと50分だった。
地図では距離の割に所要時間が短いので、もう平らな道になるのかと思ったら、王滝ベンチを過ぎるとまた道が川になっていた。丸太橋を渡るとまた平らな道になったのでほっとした。
ところがその先は、登山道というよりも山の斜面を無理矢理通って草が抜けたような狭い道だった。その上人がどんどん通るので曲がった木の周囲の土がえぐれてしまって通りにくかった。このようなところがしばらく続いた。
あの学校登山の中学生たちはこんな道でも一列で駆け下りたのだろうなあ。我々の下山時の遅さは加齢だけではないような気もする。
その後滑りやすい木の根が掘り返された斜面を下りると一ノ沢に出た。勢いよく水が流れていく。
川はまた見えなくなった。
もう追い上げて来る人はいないだろうと思っていたのに、また1人我々を追い越してすぐに視界から消えていった。
蝶ヶ岳ヒュッテから常念乗越まで5時間かかる。大天荘から常念乗越まで3時間、せっかく来たのだから常念岳に往復2時間。どちらから来ても我々を追い越すには早すぎるのでは。
池を見つけた。これが地図に出ている「池」だろう。
先が明るくなるともう森を抜けるのかと期待するが、それは傾斜のきつい下りがあることを予告するものであることが段々とわかってきた。
すぐに大糠沢という小さな流れがあった。
10分ほど歩くと大木に出くわした。見上げると視界一面にこの木の枝と葉が広がった。これが「山の神」か。白木の鳥居に後で気がついた。
木の向こうに道標があった、登山口まであと500m。今12時52分、あと10分では無理だろうなあ。
山の神を過ぎるとさすがに平たい道だろうと思ったらこんな道。標高差はまだ180mもある。
もう写真を撮るのも嫌気がさし、ひたすら下った。
一ノ沢は段々大きな流れとなっていくものと思っていたが、気がつくと登山道の右側に小さな流れがあった。昔山男は、本流は向こうの方だろうと言う。
そういえばかなり高い中州がある。中州というよりも土石流の跡のようだ。木が細いのばかりなのは、そう古くない頃に土石流があったのかも。
そんな話をしていたら屋根が見えてきた。最後の丸太橋を渡って登山口にやっと到着、13時7分。王滝ベンチから1時間6分、胸突八丁から2時間45分、更に 常念乗越から4時間4分と長々と時間をかけて、尻餅をついて下山した。
タクシーの予約時間よりも早く着いて昼食にしようという計画だったが、タクシーは早めに来て待っていてくれることが多いので、とりあえずそのタクシーが来ているか探す。
やっぱりもう来ていた。そうなると食事よりもタクシーで車まで戻る方を選び、携行食をタクシーの中で食べることになった。
タクシーの運転手さんは、学校登山で山小屋はうるさかったでしょう。7月はどうしても地元の中学生の学校登山が多くて、と申し訳なさそうだった。
しかし、昨夜は8時前には静かになり、1階のテレビ前でいつまでもしゃべっている大人の方がうるさかった。
夜中にトイレに行くと、廊下に敷き布団と寝袋を運び出し、爆睡している豪快な生徒がいて笑ってしまった。
この区間の花
昨年は変形性股関節症で山歩きも大変だった昔山男だが、今年は筋力トレーニングを心がけ、かっくんかっくんならずに歩けるところまで良くなった。今回の山歩きも時間がかかったとはいえ、股関節を悪化させずに済んだらしく、9月になったらどこか山に登ろうと言った。
山姥も、9月に入ると空の青さが変わると聞いたので、是非山に行きたいとトレーニングは続けてきた。
しかし、この暑さ!昔山男は段々とトレーニングよりも昼寝を選びがちになり、少し凹んでいたビール腹は元通りとなった。9月下旬に白山でも行こうと昔山男はやっとトレーニングを再開したが、続くかどうか・・・
※参考文献
「山と高原地図37 槍ヶ岳・穂高岳」 (2010年 山と渓谷社)